ジョンソン大統領と戦争の泥沼化 2
1065年2月、ジョンソン大統領は北爆を開始。
しかし、北ベトナムは屈服せず、南ベトナムの軍事情勢も好転しませんでした。
サイゴンでは5月に、グエン・バン・チューとグエン・カオ・キの軍首脳の政権が発足しましたが、これは民衆の支持をあてにしない、アメリカの管理下による戦争遂行のための政権でした。
こうして大統領は6月末に索敵撃滅戦略を開始し、次いで南ベトナムに即時5万人を増派し、65年末までにさらに5万人増派することを7月末に決定しました。
こうして、ベトナム戦争は本格的にアメリカの戦争となったのです。
このときには、ベトナム援助軍司令官ウエストモーランドが「3段階作戦プラン」を示し、次の大統領選挙の1年前までに戦争に勝利できることを大統領に保証していました。
この時点でも、まだジョンソンは戦争の行方に楽観的でした。
しかし1965年末、マクナマラ国防長官はジョンソン大統領に、大兵力を増強しても大統領選挙までに勝利することは困難との判断を示しました。
そして、66年10月には戦争エスカレーションの停止を勧告。
マクナマラは、ベトナム戦争による戦費が急増するとインフレーションによる諸矛盾、すなわち国内の生産活動の停滞、国際競争力の低下、ドル価値低下、金流出などが起こり、ブレトンウッズ体制が危機い陥ると憂慮したのです。
ブレトンウッズ協定は、第二次世界大戦末期の44年7月、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで45ヶ国が集まって開かれた連合国通貨金融会議で成立した国際経済協定で、戦後における世界平和の経済的基礎を確立することを名目として国際通貨基金(IMF)、国際開発銀行(IBRD、通称世界銀行)の設立を決めました。
この協定によって打ち立てられた国際通貨体制をブレトンウッズ体制と呼び、現実には戦後25年間を通じてアメリカ合衆国による世界経済支配の手段になりましたが、70年代に入ってドルの国際的信用の低下によって国際通貨の混迷、国際金融の貿易の不安定が深刻化し、71年末この体制は崩壊しました。