ジョンソン大統領と戦争の泥沼化 3
マクナマラは、北緯17度線の非武装地帯からラオス領内に伸びる電子障壁を建設し、それによって北ベトナムの浸透を阻止し、戦闘は南ベトナム政府軍に負担させるプランを示しました。
ジョンソン大統領も、アメリカの財政・兵力上のコストの大きい索敵撃滅戦略を修正しました。
つまり、アメリカ軍の一部も加えて「平定計画」を復興し、サイゴン政権の民衆的基盤も拡大しようとしたのです。
この新しい方針は、「戦争のベトナム化」と「南ベトナム維持」をはかろうとするものでした。
しかし、ウエストモーランド司令官はこの新しい方針に不満でした。
一方、学生の反戦運動が激化し、「偉大な社会」計画が削減されて、黒人暴動が頻発し、議会のハト派議員の活動も活発化。
政府内では対ソ交渉の専門家ハリマンのグループが、北爆停止を行って、その間にイギリス、ソ連両国(ジュネーブ協定の共同議決国)の仲介によってハノイと交渉に入ることを計画していました。
こうしたなかで、ウエストモーランド司令官も以前の保証をひるがえして、1967年3月に、「戦争はあと2年間で勝利できるが、それには兵力をさらに20万人増強する必要がある」と要請。
統合参謀本部も最終的勝利のために予備召集、ラオス・カンボジア侵攻、北爆の制限解除を大統領に勧告しました。
これに対してマクナマラは5月、戦争縮小、和平交渉による停戦実現、民族解放戦線の承認を大統領に勧告しました。
戦争の拡大か縮小かを迫られた大統領は、「国民を刺激しないためにアメリカ軍増強はできるだけわずかとする」ことを決定しました。
そして11月、ウエストモーランドをワシントンに呼びよせ、戦争の前途について、「アメリカは2年以内に勝利できるだろう」と繰り返して発言させました。
これは、戦局に不信を抱いていた世論を戦争続行政策支持に集めるためであり、同時にジョンソンの大統領選再出馬に対する民主党ハト派からの妨害を抑止するためでした。
大統領はマクナマラを解任し、その後任にクリフォード大統領外交顧問(民主党の大立物)を選びました。